今や清澄白河といえば、カフェ、コーヒー、ブルーボトル。さらに公園があって、散歩ができて、一日中遊べる場所になりました。一時のブームからは落ち着きましたが、休日はまだまだコーヒー☕️を片手に歩いている人が大勢います。
コーヒーショップ、カフェを紹介する前に、まずは、清澄白河について清澄白河について、まとめてみました。
清澄白河
白河藩の松平定信公の墓所(霊厳寺)があることから、白河という地名が生まれ、この地域の新田開発をした清住弥平衛の清澄が生まれ、都営大江戸線の駅ができた際に、清澄白河というエリアが生まれました。
大江戸線が2,000年に開通するまでは、都営新宿線と東京メトロ東西線の中間にあって、南北の移動は不便だったのではないかと想像します。
運河
この地域は、北は竪川、中央を小名木川、南には仙台堀川が東西を流れています。
さらに南北を大横川や運河の名残である親水公園が通っています。
江戸に物資を運び入れる交通網が張り巡らされていた地域です。
現在では暗渠化されているところが多いですが、それでも、他の地域と比べれば圧倒的に河川が多い地域です。
今でも、隅田川から小名木川を通って荒川へ抜け(江戸時代に荒川はありませんでした。大きいですが、大正時代に人工的に掘削した河川です。)、荒川の対岸では江戸川区船堀の新川に繋がり、そのまま浦安に抜けていきます。Googleマップを見ると、その当時の様子がよくわかります。
土地としては、元々この辺りは低湿地帯であり、江戸時代初期には小名木川のすぐ南が江戸湾、つまり海岸線であったとの、旧東京都土木技術研究所の調査があります。
その後、江戸時代以降の埋め立てを経て、昭和の初期には概ね今の陸地が完成しました。しかし、高度成長期には、地下水の汲み上げによって地盤沈下が進んでしまいました。
そうした低い土地ですから、本来的に雨には弱いようです。大雨が降った場合や、高潮による被害が予想されるなど、隅田川の水位が高くなると、隅田川に繋がる運河の水門を閉めて隅田川から運河への水の流入を防ぎます。
そんな時、このエリアの中に降った雨が運河に流れ込み、どんどん溜まっていって地域に溢れないようにするのが、排水機場です。
閉めた水門の内側の水を、プールの水を一瞬で空にしてしまうほど強力なポンプで、隅田川に吐き出します。そして隅田川に吐き出された水は、川の流れで海に出ていきます。
ちなみに、隅田川の上流には岩淵水門(北区)があり、増水した場合にはここを閉めて、荒川上流と隅田川の水の流れを途絶するそうです。
エレキテル
ちなみに、土木技術を結集した清澄排水機場の近くに、面白い場所がありました。
エレキテルを修復し公開して江戸町人を驚かせた「平賀源内電気実験の地」。
教科書にも出る平賀源内は、仙台堀川が隅田川から分岐する場所にあった奥医師の屋敷に住んでいたそうです。
閘門 ロックゲート
江東区・墨田区は土地が低いので、隅田川と江東区・墨田区を流れる運河とで、水位差があります。
だから、東西を流れる小名木川には、西は隅田川と、東は荒川と接続するところに、閘門と呼ばれる、船が通行するために水位を調整する門があります。
小名木川の東では旧中川が合流し、そこに船番所がありました。(近くに船番所博物館があります)
そしてさらに荒川と合流するところ、そこには迫力ある荒川ロックゲートが鎮座しています。
運河がロースタリーに最適
で、なんでこんなに運河の話をしているかというと、焙煎するのにこの運河が良いらしいのです。
木場公園の東、白河4丁目のザクリームオブザクロップコーヒーで聞いたところでは、運河は川幅がそこそこあって必然的に風通しが良いことから、焙煎したときの煙が風に乗って散っていくとのこと。
遮るものが無い運河の上は、気持ち良い風が吹いています。
少量ならまだしも、こんな大きな焙煎機を使って街の中で大量に焙煎したら、煙や臭いが立ち込めて大変ですね。
さらに良いところは、工場や倉庫跡をリノベーションしているという点に現れています。
運河による物流の名残りから、この地域は工場や倉庫が多いのです。
特に木材などの長物を扱えば余計に天井が高い建物になります。
これが、背の高いローストマシンにはぴったり!だから、ロースタリー(焙煎所)は天井が高くなるんですね。
清澄白河という場所の特性を確認したところで、カフェに行ってみましょう!